ともこが、ボディーデザイナー(身体均整師)になった訳vol.3 080-8048-7456 〒224-0041 神奈川県横浜市都筑区仲町台1-23-22 ノエル仲町台401 営業時間 / 9:30 ~ 20:00 (最終受付時間 18:30)定休日 /金曜日・ 不定休
石川県加賀市山中温泉出身。
山と川が大好き!海よりもやっぱり、山に囲まれた山中温泉が大好きなんです。
開業して2年半。前回は、看護学校入学前までの私を書きました。
興味があれば、お読みください。
ボディーデザイナーともこです!!
うちは、元々漆器業を営んでいましたが、
もちろん家業を継ぐつもりなどないので・・・
将来を考えていたら、ふとした進路指導の先生の言葉で「看護師(看護婦)」
というワードが飛び込んできました。
今まで、考えたこともない世界でした。
でも、そこで『ピーンときた』ともこ。
看護師になろう!
そして、親の反対を押し切って、東京の看護学校へ・・・(3年間のみの約束でした)
さて、看護学校は、世田谷区駒沢大学駅から徒歩15分くらいの所でした。
駒沢公園が目の間に広がります。
「わー東京だーー、都会だ~~」と胸を膨らませていました。
そんなことも束の間
寮生活の始まりです。
見知らぬ人と狭い6畳くらいの、コンクリート張りの部屋、木の2段ベッド、備え付けの並びの木の机、備え付けのクローゼットもどき、床もコンクリート、冷暖房なし、窓は網戸なし、監獄のような窓w
ドライヤー完備と書いてあったけど?
昔パーマ屋さんに置いてあった頭にすっぽりかぶる赤い、あれが置いてありました(わかる人のみわかる(笑))
そこに、同室になった方とコンクリート床ではだめだよね~といって、三軒茶屋まで
徒歩で安い絨毯を買いに行き、近くのスーパーで段ボールをもらい
冷え予防です(笑)
お風呂は、スチームで温めるタイプ。シャワーなんてありません。
身体の浴槽と洗髪用の浴槽 手桶で流すんですw
今では考えられないですよね。これが平成初期ですよ!
入浴の時は、先輩の背中を必ず流す!
「お背中お流ししまーす!」って声かけてねっ(⌒∇⌒)
そんな、監獄的な寮生活が3年間始まります。
ご飯は、国立付属看護学校だったので
国立病院の患者さんと同じ食事が出ます。
当番が、食事を病院まで取りに行って
食堂に置いておくというシステム
美味しくなかったけど、それしかないから
耐える・・・
トイレはもちろん共同の和式トイレ
で、電話当番さんの前で電話してるってやつ
看護学校は、寮の真下なのでずる休みはできません。
休むと教務が寮まで見に来ます。
冬は、冷暖房ないので(テレビもありませんよ)こたつのみ!
凍えながら、震えながら勉強してました。
指先に穴の開いた手袋と、どてらを着て生活。
(今の子たちのように、冷暖房完備・個室なんてものはありません。プライバシーとはなんぞや?の世界)
実習の時は、日々勉強と実習。
実習指導者に指導されながらブルブル震える日々。
「根拠は??」とか良く言われたな~
そんな、3年間の間に夫と知り合いました。
でも、3年後には、私は石川県に戻る約束でしたので
別れるんだなと思って
卒業します。
余談ですが・・・そんな、看護学校生活を送っていたので
卒業30年経ってもみんな仲良しです。来年は、指宿まで旅行します(⌒∇⌒)
そして、石川県の大学病院の循環器病棟で就職。
ですが、何故ここにいるのか?
結局、今の息子を妊娠してることがわかり
横浜に嫁ぎました。なので、一旦退職したんです。
お金もなかったし、妊娠中で雇ってくれるとことなんてないだろうと思って
工場のパート 時給600円だったかな?平成初期はそのくらいかな。
で、長男を出産。
産後は、コンビニで6-9時までパート。
看護師として働けないと勝手に思っていたので・・・
その後、第2子妊娠、出産。
二人を産んでから、夫の友人に
子供預けられる病院があるよ!と聞いて
そこの面接を受けて
再出発です。下の子が1.5歳、上の子3歳のころでした。
夜勤も月8-9回やってました。
お金を稼ぐのに必死。若かったので、お金がなかった。
でも、家の事もおろそかにできないので、朝から晩まで働きっぱなし。
でも、看護師はみんなそんな感じの人が多いんです。
まじめすぎ~ですかね。
そこのあ・な・た うなずいてますね^^
そこの病院で色々経験させてもらいました。
消化器内科、外科病棟 整形病棟 外来で内視鏡、小児科外来、処置室、他もろもろの外来
そして、小児科の先生が開業されるという事で声をかけてもらい、(下の子が1年生というタイミングもあり)
クリニックデビュー。
楽しかったけど、もう少し大きな病院で仕事したいという欲が出てきて
近くに大学病院ができるという噂を聞き
就職試験を受けに行きました。
結局クリニックで2年働き大学病院へ転職
32歳のころでした。
そこから49歳まで、お世話になりました。
大学病院では、様々な事を学び
看護師はもちろんの事、医師、検査技師、放射線技師、薬剤師、ケースワーカー、PT・OTさんたち
事務の方々
本当にお世話になり、勉強にもなりました。
でも、身体は、すっごく疲弊していっておりました。
そんな時に出会ったのが均整法!
あんなに肩こりあったのに?腰痛だったのに?
続けていくと、そんなに不調が出なくなっている。
すごいな~と感じてました。
さて、次回はようやく本題!何故均整師になろうと思ったのか?をお送りします。
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